1920年,ドレスデン生まれの旧東ドイツの指揮者.ボリス・ブラッハーに作曲を,カール・ベームに指揮法を学ぶ.当初はピアニストを目指すも戦争による腕の負傷のためピアニストを断念.ロシュトック国民歌劇場にて指揮者と.してデビュー後,1953年よりライプツィヒ合唱団の指揮者に就任.アーベントロート亡き後,1958年よりライプツィヒ放送交響楽団の第1指揮者に就任.1959年にはGDR国民芸術家賞を授与され,1960年よりライプツィヒ放送交響楽団の主席指揮者に就任.1974年にはライプツィヒ市からA.ニキシュ賞を授与され,1977年からドレスデン・フィルハーモニーの主席指揮者に就任しましたが,1985年に65歳で定期演奏指揮者という名称を与えられ半ば引退する形となりました.このころより音楽に陰りがみられるようになってきました.1990年東西ドイツ統一直後に
,失意の中,自ら命を絶ちました.